はじめに:偏食は感覚から
私は、同じ食べ物を続けて選ぶことがあります。
たとえばカレーやオムレツなどです。
一度「これだ」と感じると、しばらくは同じメニューが続きます。
周りからは「飽きないの?」と聞かれることがあります。
けれど、私の感覚は少し違うと感じています。
※診断や治療については、必要に応じて医師や専門家にご相談ください。
食べる瞬間、感覚で頭がいっぱいになる
同じものを食べる時、口に入れた瞬間の感覚で頭の中が満たされると感じます。
味や食感で処理がいっぱいいっぱいで、代替案を思い浮かべる余裕がなくなると思っています。
「他にも食べたいものがあるかも」と考える前に、もう「これが正解」と確信している感覚があります。
私はどうやら食べる行為において
- 他の食べ物と比較する
- 今回の出来栄え、次回への改善や工夫
- 今度は違うメニューを試すことを考える
などを浮かべることが少ないです。
それが同じメニューを繰り返す原因になっているのかもしれません。
また、苦手さがあるものを避けるために、工夫をすることよりも安全なものを選ぶ傾向もあると思います。
比較や工夫など、複数の情報を同時に処理することよりも、「前に成功した味」をそのまま再現する方が、自然な選択になっているのかもしれません。
こだわりというより「比較の難しさ」
私には、状況に合わせて切り替える臨機応変さがやや苦手な側面があり、そこで躓くことがあると感じます。
多くの人は「昨日はカレー、今日はパスタ」と自然に比較・更新できるのだと思います。
しかし、私はその比較プロセスがうまく回らない瞬間があり、結果として「前にうまくいった選択」を反射的に取ってしまうと感じています。
つまり、意識的にこだわっているというより、比較が難しい結果として一方向に流れやすい、という実感に近いと思っています。
脳の大差ではなく、順序とタイミングの差かもしれない
脳そのものの仕組みが大きく違う、というよりも、感覚をいつ・どの順序で比較できるかのタイミングが、私と多くの人で少しずれているだけかもしれないと感じます。
食べている最中の感覚が強すぎて、比較の余地が生まれにくいのだと思います。
「昨日」と「今日」の選択肢を並べる処理が、私には少し時間がかかると感じています。
この小さなズレの積み重ねが、行動としては「同じものを繰り返す」に見えているのではないかと思います。
「こだわり」という言い方への違和感
「こだわり」という言葉は、否定的に響くことがあると感じます。
私にとっては、落ち着きや安心が伴う自然な選び方だと思っています。
他と比べるのが難しい局面で、「これでいい」「これが今は合う」と静かに決めているだけです。
変えることが目的ではないと思っています。
この思考の流れを理解し、自分のペースを尊重することが、生活の安定につながると感じています。
おわりに
同じものを繰り返すのは、単なる偏りではなく、思考の流れの違いかもしれないと思っています。
私は、比較が難しいことが理由で再現を選んでいると感じます。
それは欠点ではなく、私の頭の動き方の一部だと思っています。
自分の流れを知っていれば、無理に矯正せずに生活できると感じます。
今日は「これでいい」と言える選び方を、私は続けていきたいと思っています。
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- 「各自治体の発達相談窓口」→「※お住まいの自治体の公式サイトをご確認ください」
- お住まいの福祉相談窓口では、発達特性に関する相談や支援の案内が受けられる場合があります。
- 「発達障害者支援センター」→「https://www.rehab.go.jp/ddis/」
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