「ASD理解」多感覚統合実行機能・不注意・衝動性

同時処理が弱いASDの見えない脳の限界と生き方

「ASD理解」
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はじめに:軽度に見えるのに、なぜこんなに生きづらいのか

診断上や周囲からは「理解力がある」「軽度のASD」と扱われても、実際の生活では中度以上の負担を抱えることがあります。

これは矛盾ではなく、「困っているように見える度合い」と「実際の脳の負荷」が一致していないためです。

※診断や治療については、必要に応じて医師や専門家にご相談ください。


軽度=困りごとが少ない、ではない

社会的な「軽度」とは、見た目や行動の分かりやすさの話です。

一方で、支援制度でいう「中度以上」は生活の持続や自己管理の困難さを指します。

つまり、「軽度に見えるけれど、中度以上に疲弊している」人が現実には多いのです。


テクノロジー社会で、平均以上が「前提」になっている

現代社会では、仕事でも生活でも平均以上の処理力を求められる場面が増えています。

スマホの通知、マルチタスク、コミュニケーションアプリなど——同時処理が苦手な脳にとって、
「日常の何気ないこと」こそが高難度タスクになっています。

家事を一つ後回しにすると、次の家事と重なり処理が雪だるま式になる。

こうした「普通の人が自然にこなす同時処理」が、ASD当事者には慢性的な負荷になります。


同時処理が苦手なASDのリアル

私自身、言葉の意味を理解することは得意です。

しかし、会話中に相手の表情や場の空気を同時に読み取ることができず、
結果的に誤った文脈で答えてしまうことがあります。

相手から見れば「ちょっとコミュニケーションが苦手」程度。
でも実際には、リアルタイムで複数の情報を処理し続けること自体が限界なのです。


見えない負荷が積み重なる

ASDの本質的な問題は、表面化していない「見えない負荷」にあります。

周囲には「普通に話している」「理解している」と見えるため、支援の対象から外れてしまう。

しかし当事者の内部では、

言語理解 → 表情認識 → 状況判断
と段階的に処理しており、社会の「テンポ」に常に遅れを取ります。


「軽度」という言葉の誤解をほどく

軽度とは、「支援が少なくてもなんとかなる」という意味ではありません。

むしろ、「支援が必要なのに、軽く見られて支援が届かない」ことが問題です。

同時処理が弱いタイプのASDは、静かな環境や順序立てた作業では能力を発揮します。

しかし、マルチタスクを強いられる環境では一気に破綻します。

だからこそ、「軽度じゃない」と伝える必要があるのです。


おわりに:ゆっくり考える脳の価値を取り戻す

社会が求めるスピードに合わせるより、
自分の処理速度に合わせた環境を整えることが何よりの対策です。

同時処理が苦手でも、順次処理なら正確で深い理解ができる——それがASD脳の強みです。